竹取物語 · Part 2 of 3

かぐや姫ひめは、五人ごにんの男おとこたちに一人ひとりずつ、持もってきてほしいものを伝つたえました。

石作いしづくりの皇子みこには、天竺てんじく(今いまのインド)にあるという、仏ほとけさまの石いしの鉢はち。

くらもちの皇子みこには、東ひがしの海うみの蓬莱ほうらいという山やまにあるという、根ねが銀ぎん、茎くきが金きんで、白しろい玉たまの実みがなる木きの枝えだ。

阿倍あべのみうしには、唐とうの国くににあるという、火ひねずみの皮かわで作つくった衣ころも。

大伴おおとものみゆきには、竜りゅうの首くびにあるという、五色ごしきに光ひかる玉たま。

石上いそのかみのまろたりには、つばめが持もっているという子安貝こやすがい。

どれも、本当ほんとうにあるかどうかもわからないものばかりでした。五人ごにんはがっかりして帰かえっていきました。それでも、かぐや姫ひめをあきらめることはできませんでした。

石作いしづくりの皇子みこは、はじめから天竺てんじくへ行いくつもりはありませんでした。天竺てんじくへ行いくふりをして三年さんねん待まち、大和やまとの国くにの山寺やまでらにあった、すすで真まっ黒くろになった古ふるい鉢はちを持もってきたのです。けれども、本物ほんものの仏ほとけさまの鉢はちなら、光ひかっているはずです。その鉢はちは、少すこしも光ひかっていませんでした。かぐや姫ひめは、「山寺やまでらの鉢はちに、どうして光ひかりがありましょう」という歌うたをそえて、すぐに鉢はちを返かえしました。皇子みこは鉢はちを門もんの前まえに捨すてましたが、それでもまだ、かぐや姫ひめに言いい寄よりました。このことから、ずうずうしいことを「恥はじを捨すてる」と言いうようになったと言いわれています。「鉢はちを捨すてる」と「恥はじを捨すてる」をかけた、しゃれです。

くらもちの皇子みこは、とてもずるい人ひとでした。船ふねで海うみへ出でかけるふりをして、三日後みっかごにこっそり帰かえってきました。そして、腕うでのいい職人しょくにんたちを集あつめて、人ひとの来こない家いえにかくれ、千日せんにちかけて玉たまの枝えだを作つくらせたのです。できあがった枝えだは、話はなしに聞きく本物ほんものとそっくりでした。皇子みこは、長ながい旅たびをしてきたような顔かおでかぐや姫ひめの家いえへ行いき、旅たびの話はなしを次つぎから次つぎへと語かたりました。

「海うみでは何度なんども嵐あらしにあい、船ふねがしずみそうになりました。食たべ物ものがなくなって、草くさの根ねを食たべた日ひもあります。鬼おにのようなものにおそわれたこともありました。五百日ごひゃくにちほどたったころ、海うみの上うえに高たかい山やまが見みえました。そこが蓬莱ほうらいの山やまでした。山やまには金きんや銀ぎんや、るり色いろの水みずが流ながれる川かわがあり、光ひかる玉たまの木きが立たっていました。わたしはその枝えだを一本いっぽん折おって、急いそいで帰かえってきたのです。」

おじいさんはすっかり信しんじて、「これでもう、ことわることはできませんよ」とかぐや姫ひめに言いい、結婚けっこんの準備じゅんびを始はじめました。かぐや姫ひめは、だまって考かんがえこんでしまいました。

ところが、そこへ職人しょくにんたちがやってきて言いいました。「千日せんにちも働はたらいたのに、まだお金かねをもらっていません。」

こうして、うそがばれてしまいました。かぐや姫ひめは大おお喜よろこびで枝えだを返かえしました。皇子みこは恥はずかしくてたまらず、山やまの奥おくへ入はいったまま、帰かえってきませんでした。

阿倍あべのみうしは、お金かね持もちでした。唐とうの国くにの商人しょうにんに手紙てがみとたくさんのお金かねを送おくり、火ひねずみの皮衣かわごろもをさがしてもらいました。長ながい時間じかんがたって、商人しょうにんから手紙てがみがとどきました。「さがすのに、とても苦労くろうしました。もっとお金かねが必要ひつようです。」阿倍あべのみうしは喜よろこんで、言いわれたとおりにお金かねを送おくりました。そして、とうとう美うつくしい皮衣かわごろもがとどきました。深ふかい青色あおいろで、毛けの先さきは金色きんいろに光ひかっていました。「これで、かぐや姫ひめと結婚けっこんできる」と、阿倍あべのみうしは自分じぶんの服ふくをきれいに整ととのえて、かぐや姫ひめの家いえへ出でかけました。「本物ほんものの火ひねずみの皮衣かわごろもなら、火ひに入いれても焼やけないはずです」と、かぐや姫ひめは言いいました。ところが、火ひに入いれると、皮衣かわごろもはあっという間まにめらめらと燃もえてしまいました。こうして阿倍あべのみうしの願ねがいは、あえなく消きえました。「阿倍あべ」と「あえない」をかけて、このことばが生うまれたとも言いわれています。

大伴おおとものみゆきは、家来けらいたちを集あつめて、たくさんのお金かねや食たべ物ものをわたし、「竜りゅうの首くびの玉たまを取とってこい。取とってくるまで、帰かえってきてはならない」と命めいじました。そして、かぐや姫ひめをむかえるために、家いえを美うつくしくかざりはじめました。けれども家来けらいたちは、竜りゅうをこわがって、どこかへにげてしまいました。待まちきれなくなった大伴おおとものみゆきは、自分じぶんで船ふねに乗のって海うみへ出でました。すると、ひどい嵐あらしになりました。雷かみなりが鳴なり、船ふねは今いまにもしずみそうです。「竜りゅうを殺ころそうとしたから、神かみさまがおこっているのだ」と、みゆきは泣なきながらいのりました。やっと浜はまにたどり着ついたとき、みゆきは病気びょうきになっていて、目めはすももを二ふたつつけたようにはれていました。「かぐや姫ひめは、わたしたちを殺ころそうとしたのだ」と言いって、みゆきはとうとうあきらめました。

石上いそのかみのまろたりは、つばめの巣すが台所だいどころの屋根やねの下したにあると聞きいて、かごに乗のり、綱つなで高たかいところまで引ひき上あげてもらいました。巣すに手てを入いれると、何なにかかたいものがつかめました。「子安貝こやすがいを取とったぞ」と喜よろこんだとたん、綱つなが切きれて、まろたりは下したに落おちてしまいました。手ての中なかを見みると、それは子安貝こやすがいではなく、つばめの古ふるいふんでした。貝かいがなかったので「かいがない」。このことから、がんばったのに何なんにもならないことを「かいがない」と言いうようになったとも言いわれています。まろたりは、そのまま重おもい病気びょうきになって、亡なくなってしまいました。かぐや姫ひめは、それを聞きいて、少すこしかわいそうだと思おもいました。

こうして、五人ごにんのうちだれ一人ひとり、宝物たからものを持もってくることはできませんでした。

かぐや姫ひめのうわさは、とうとう帝みかどの耳みみにもとどきました。

This is a LITIM Japanese digest (Part 2 of 3): our own retelling, in easy modern Japanese, of the classic 竹取物語 (The Tale of the Bamboo Cutter). It is not the original text.

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